物理的なことはすぐに変えられる
最近、ネガティブな気持ちでいることが多いなーっと感じました。
仏教であったり自己啓発本であったり、いろいろ学んできた自分でもネガティブな気持ちになるのは、人間の精神的な性格的なところは簡単には変わらないことを意味してるのだと思います。
しかし、ネガティブな気分になることが0なのも問題だと心理学の本にもありました。ネガティブな気持ちになったときの対処法については身についてきた実感もあるので、精神的な成長が一切みられないわけではないです。
精神的なところを変えるには時間がかかりますが、物理的なところはすぐに変えられます。
僕は最近、なんでも予定を前倒しにして動く習慣をつけようとしています。物理的に時間の余裕をつくることで、心にも余裕が生まれるのです。
たいていのことはうまくいくヴィパッサナー瞑想の心得
仏教の瞑想にヴィパッサナー瞑想というものがあります。ヴィパッサナー瞑想の座る瞑想では、ひたすら客観的に座っている自分を観察します、呼吸による上半身の動きやかゆみ・痛みという感覚を観察します。かゆい・痛いではありません、かゆみ・痛みです、あくまで客観的に観察します。
ヴィパッサナー瞑想では妄想を徹底的に排します。瞑想中に無駄なことを考えてしまったら妄想、妄想、妄想と唱えて瞑想に集中するようにします。
ヴィパッサナー瞑想では今に集中します、瞑想中にはネガティブな考えや全ての不安から解放されます。
今に集中することで、たいていのことはうまくいきます。
今度丸一日今に生きることを意識して生活してみます、後日感想をブログに書きますね。
斬新なストレスを軽減する方法
今日は斬新なストレスを軽減する方法をお伝えします。
ストレスを軽減する方法などいくらでも調べれば出てきますが、これは珍しいと思います。
その方法とは、まず鏡の前に立ってとびきりの笑顔をしてみてください、そしてその笑顔の自分を観察するのです。それだけです。
百聞は一見に如かず。まずはやってみてくださいね(^o^)/
N→P変換のススメ
N→P変換とはネガティブ→ポジティブ変換のことで、つまりはポジティブシンキングです。
僕は昔から肉体的にも精神的にも持久力がないのが悩みです。タフさがないのです、人によっては小さなことであっても、そのことで悩んで憔悴してしまっていたのです。
精神的なタフネスというのは、ポジティブな性格かネガティブな性格かに依存します。つまり私はネガティブな性格なわけです(笑)
ポジティブな人は小さいことで悩みませんから、タフだといえるのです。
今日は簡単なポジティブシンキングの方法をお伝えします。それは自己暗示です。
まずは自己暗示の効力を体験していただきます。ひとつ何でもいいのでめんどくさいなぁと思うことか、嫌だなぁと思うことを思い浮かべてください、それがあなたの悩みとします。そこで「面白くなってきやがったぜ!!」と口に出してください。なんだかポジティブな気持ちになりませんか?
つまりはそういうことです。今日から、ネガティブな考えは自己暗示でポジティブに変えてしまいましょう。
鬱っぽい気分のときに気分転換する方法
なんだか鬱っぽい気分で何にもやる気になれなかったり、明日の仕事のことを考えては不安になったり、昔のことを思い返しては後悔したり...そういうときってありますよね?
仏教では、後悔や不安といった暗い感情をまとめて「怒り」の感情としています。前回ご紹介した「怒らないこと」ではそういった感情についても一切否定的です。
こういった「怒り」の感情は人間の妄想から生まれます。ありもしないことを頭の中で生み出す人間の悪しき習慣です。今この瞬間に未来も過去も存在していません。鬱っぽい気分の原因は妄想なのです。
明日会議があって、そこで何か発表しなければいけないとしましょう。発表すること自体も嫌だし、そのために準備することも嫌だとすれば、あなたは鬱っぽい気分になってしまうでしょう。
しかし、発表することが嫌だ・準備することが嫌だというのは妄想です。そんな妄想は捨てて、やらなければいけないことをただやればいいのです。それで全てうまくいきます。(妄想というのは主観的な意見といってもいいでしょう。会議で発表することが嫌だというのは主観的な意見です。)
では、妄想しないためにはどうすればよいのでしょうか?
ここではあくまで応急処置的な方法をお伝えしますが、場所を変えるとうまくいきます。
例えば、自分の部屋の中にずっといると、時間が経つにつれて暗い感情に支配されて、妄想の堂々巡りが起きたりしませんか?そんなときは外に出て散歩をするだけで、案外気持ちがスッキリするものですよ。
仏教との出会い
僕が仏教に初めて出会ったのは、アルボムッレ・スマナサーラ氏の書いた「怒らないこと」を読んだときです。
「怒らないこと」の内容は僕には衝撃的でした、なぜなら僕は、やられたらやり返す倍返しだ!!な性格だったからです(笑)
仏教では、それは認められません。やられてもやり返してはいけないのです、怒ってやり返しても悪循環にしかならないからです。
くわしくは、是非とも「怒らないこと」を読んでいただきたいと思います。
”昨今では、怒って当たり前、ややもすると怒らないと不甲斐ないとでも言わんばかりです。ブッダは、これに真っ向から反対します。怒ってよい理由などない。怒りは理不尽だ。怒る人は弱者だ。怒らない人にこそ知恵がある。怒らない人は幸せを得る。”
アルボムッレ・スマナサーラ氏の著書「怒らないこと」より